文庫本

彼女はカバンを持たない。
会社に行くときも、友達に会うときも、外出して必要になるものはすべてポケットに入っている。
彼女は用意をしない。
携帯電話、財布、文庫本をたった一冊。ただそれだけの荷物なのに、毎朝僕にそれらがどこにあるのかを聞く。ポケットに入れっぱなしだと思い、外出してバス停でバスを待ち、やっとバスが来て乗り込もうとしたときに初めて財布がないことに気がつき、あわてて帰ってくるということも稀でない。
彼女が忘れるものを順番で言うと、携帯電話、文庫本、財布、の順だ。
携帯電話は主に時計として使われているようだが、彼女は「大体」の世界で生きているし、忘れたとしても特に困ることはないらしく、あわてる様子もない。
財布に関しては先に述べたとおり、無ければ出勤することもできないので取りに帰ってくる。

さて、一番困るのは文庫本である。
彼女は電車に乗るときに文庫本を持っていないと、駅のキオスクでそこにあったものを選びもせずに購入してしまうのだ。
そして、深夜帰宅するとまず一番にその文庫本を大き目の文庫本が入るサイズのポケットから放り投げ、毎度必ず失敗したと僕に当たる。
彼女は古本屋の常連で、読みたいと思っていた本は必ず古本屋で値下がりするのを待って購入する。そして読み終わったあとに、「おもしろかった」といってインターネット上の書店で定価のものを再度購入するのだ。彼女いわく「罪滅ぼし」なのだそうで、きちんと対価を払わなければならないと感じた本には、読み手として、作者にお金を払わなければならないそうだ。僕は本も物であると思うし、すでに読んだのだから、また購入する必要は無いのではないかと思うので、彼女の理論は何度聞いてもよくわからない。そのたびに溢れ返った本棚を増設し、また新しく収めるのは僕の仕事なのである。再度購入された本に彼女が目を通すことはほとんど無い。新品の本は新品のまま僕が増やした本棚に眠ることになる。

そのくせ、電車に乗る前に文庫本が手に無いのはどうしても納得ができない様子で、もちろん定価で読みたくも無い本を購入する。
そして、一日の通勤時間、それは約1時間という微々たる時間であるが、その役目を終えた彼女の言う「くだらない」本は、4分の一も読まれずに、また僕の作った本棚に眠ることになる。

彼女はミステリーや推理小説を読まない。「意味も無く」人が死ぬのは不快だし、「意味も無く」登場人物が多いのが気に入らないのだそう。カラマーゾフの兄弟は5ページ読んだだけで人の名前が覚えられない、といって投げ出したし、どんなものなのか一度読んでみたいという聖書は、最初の数行で人の名前が長すぎる、といってリタイアすることをもう何度も繰り返している。
一人の人間をより深くなおかつ客観的に描いたものが「文学的」であるそうで、それ以外の本に「意味は無い」のだと言い切る。
そのくせ、キオスクで購入するのは、「意味の無い」ミステリーや推理小説なのだ。
だから帰宅して僕に「失敗した」と嘆く前に気がつけばいい、と思うのだが、そういう問題ではない、と僕の有益だとおもわれる提案はその都度却下される。

そのくせ毎朝30分に1本しかないバスのぎりぎりの時間になって、読んでない本はないかとあわてだし、また何も持たずに部屋を出て行く。
僕に「失敗した」と言ったあとですぐに、彼女は彼女の言う「文学的」で意味のある本をポケットに収めるべきなのだ。